ぐるぐる

日記

1/8日記

久しぶりに友人と会ってお酒を飲んだ。その結果身体はアルコール分解にすべてのエネルギーをそそぎこんだ。というわけで、こんな時間にもう前日になってしまった日の日記を書いている。

お酒を飲むのは久しぶりだった。半年ぶりくらいだと思う。その前はもう遡れないくらい前、1年に数回だけお酒を飲む。体質的にアルコールの分解が遅々として進まないから、ほとんど飲めない。いわゆる下戸だ。体質面でなくても、お酒はあまり好きじゃない。アルコールの味や匂いもそうだし、正常な思考ができなくなる。非常識なことをするわけではないけれど、文章をまともに読めなくなるのが私にとってはいちばん痛い。会話の受け答えなんかも大分あやしくなるけれど、それよりもやはり読書だ。たまにお酒を飲みながら読書をする人をTwitterでも見かけるけれど、ちゃんと読めるのだろうか。私からすれば信じられない。本を読むなら素面でないと不可能だ。

コロナ禍のおかげでいまは会社の飲み会を免れているけれど、コロナが終息したらまた復活するのかと思うと暗澹たる気持ちになる。電車で本を読むこともできず、ずっと頭痛と吐き気に苦しむだけの帰宅時間はあまりにも辛い。酒飲みのひとたちのように楽しい時間がながく、そうして、その後にやってくるアルコールの報復行為はほとんどない、あるいはあっても軽度のものであるならいいだろう。でも、下戸はそうじゃない。感覚として、楽しさは刹那的、苦しさは永続的だ。だから、強引にお酒を勧めてこなくても、飲まざるをえないようなそんな雰囲気がある一部の飲み会では、苦しむことになる。飲んだ責任が私にあるのはわかっている。でも、飲まなかったら空気の読めない人間になる。飲まなくてもいいなら飲まないでいたい。お酒を飲む口実のために飲みたくないひと、行きたくないひとを巻き込む飲み会はやめていただきたい。

もちろん、楽しいお酒、楽しい飲み会があることだって知っている。同じ場所で同じように飲み食いをすることでひとと仲良くなれることはある。同じ釜の飯を食った仲とはよく言ったものだ。それは言い得て妙だと思う。

でも、でもやっぱり、お酒は飲むとすごく疲れるからいやだ。身体にもよくない。毒は望んでならいくらでも摂取していいが、強制は絶対に嫌だ。断固拒否する。雰囲気による強制ももっと是正してほしい。飲む人と飲まない人の棲み分けを、分煙のようにしてくれれば文句はない。飲む人は飲む人で、飲まない人は飲まない人たちで楽しめばいいと思う。

 

酒なんかクソ喰らえ。