ぐるぐる

日記

7/16日記

最近は集中的に西村賢太を読んでいて、改めてそのすごさを実感した。というのも、文學界7月号を読んだのがきっかけで田中慎弥阿部公彦の対談を読み、そうだ西村賢太が私は好きだったんだと思い出し、積んでいた新刊を連続して読んだ。対談にもあったけど、西村賢太の小説はなにか事件が起きることは少ないのに面白い。読ませる文というか、語りの牽引力が凄い。そこにはある種パターン化された決まり文句もあったりして、対談でもそこに触れられていた。「根が〜にできてる」が頻出するのだけど、その〜のバリエーションの多さ、言葉の選択や組み合わせ面白さもあるけど、なにより「できている」というのが書き言葉ではよく使われるところを「できてる」と書いたのはセンスとしか言いようがない。「できてる」にすることによって、速度が上がる。短くなるからとかそういうことではなく、より口語に近い形で表記されることで脳での再生が容易になる。また、これは個人的な感覚として「できている」だともう少しゆったりしたものを思わせる。なんと言えばいいのか難しいのだけど、「思ってる」と「思っている」だと、語り手の思考の速度や深度が違うように感じるのに近い。西村賢太の書く貫多ものには、貫多の突発的な感情による罵倒が多々見られるのだけど、その唐突さに近い。そもそも「根が〜にできてる」という割にそれが矛盾とまではいかなくても、その場面場面で毎度違う「根」が出てくるので、いかにも表面的にも見える。それが「できてる」に一役買ってる気もしていて、そう言ったことをあらためて思うと、西村賢太の言葉選びは相当拘っていたんだなと改めて思わされた。元からわりあいカタカナ語のチョイスには拘ってるなと思っていたけど、ほかにもたくさんあると思う。そこを念頭において読めば、面白いところはもっと見つかる気がする。

 

18919人。引き続き余念を許さない状況。なんかアナウンサーが言いそうな言葉を書いてしまったけど、実際そうだから仕方ない。

 

最近は安倍晋三統一教会のニュースばかりだ。今日だってロシアのミサイル攻撃でウクライナの民間人に大きな被害が出ているというのに。自民党統一教会の関係にメスを入れる報道ならわかるけど、そうじゃないし、メディアの情報は偏りすぎてて見たくなくなる。世界大戦に発展しなければいいのか。ふざけんのも大概にしてほしい。いい加減この国がどうしようもない状況に陥っていることをちゃんと伝えてほしい。メディアの報道責任はもう存在せず、ただの太鼓持ちと一部の視聴者への目配せに徹してるだけだ。そんな公平性の欠いた無為で無価値なことしてるならやめちまえ。